《interview》嵯峨美術大学(および嵯峨美術短期大学) 学長 : 森本 武

しかし森本先生は常に考え方と行動が一貫しているように見えるんですけど、それって自分の考えがハッキリしてないとできないじゃないですか?一体どんな子どもだったんですか?

そもそも僕は3歳の頃、結核性病気の脊椎カリエスをやった。結核菌が背骨に入って、それが体の機能を損なうという病気やったんやけども。

 

いきなり凄い話ですね。

背中が丸くなって・・・背の低い小人みたいな人見たことないか?今でもある病気なんやけど。死んでしまうこともあるんや。

 

何が原因でその病気になったんですか?

原因の1つは栄養不足があるんやけど、僕の時代は近所にそういう子どもがいっぱいいたんや。僕は昭和23年生まれやから、戦争の後でね。

 

終戦の3年後ですか。

僕の場合はそうやって寝たきりの状況やったから。「背が伸びなかったらオシマイ」と言われてたんや。小学校に入って、ぐ〜んと背が伸びてくれたおかげで全然後遺症も無く育ったんですよ。

 

え?自然に治るんですか?

いやいや、最初は病名すらもわからんかったから。そいで祈祷師みたいなとこまで行ったんや。怪しげな装置を背中に当てられて「ほんまにこんなんで治んのかいな?」と思ったんは、おぼろげながら覚えとる(笑)。夜中になったら背中が痛くて暴れまわってね・・・。そいで今の神戸大学医学部付属病院に行ったら・・・藤田先生って人がね、一発で「これは脊椎カリエスや」って診て、薬を処方してくれた。その薬は当時ドイツから入ってきた新薬でね、それが一発でバコーン!と効いた(笑)。

 

ドイツ凄いですね(笑)。

ほんま、奇跡的な感じやと思う。まぁそれで、幼稚園は行けんかったけども、それから3年後の6歳の4月から小学校には行くことになったんや。

 

周りが幼稚園の時期に寝たきりっていうのは大変でしたね。

それも、僕にしてみたら・・・その3年間を他の子供と違う過ごし方してるわけですよ。植物人間じゃないけど、天井をずっと見てて。だからある意味で1つの「瞑想」みたいなんを身につけたわけやね。まぁその時はそうしようと思ったわけじゃなくて、そうするしかなかったわけやけど(笑)。

 

あー、もしかしたら冷静に物事を俯瞰して見れるようになったのはそのせいかもしれませんね。

自分の心と対話する時間は多かったね。まぁ普通に育ったらそれはありえないよね。今思うのは、自分の心を観察するっていうテクニックというか、そういうのはその(病気だった)3年間に教えられたみたいな気がするね。それがその後に生きてくるとかそんな事は思わなかったし、当時は嫌な出来事としか思ってなかったよね(笑)。

 

そうやってプラスに捉えれるって凄いですね。

母親からしたら「不幸な子どもやな」と思ってたやろうな。それより言いたいのは、小学校入ってから学校が嫌でしょうがなかった。人がようけおって怖かったから毎回家に逃げ帰ってたんや。で、母親に「学校におらなあかん!」ってまた学校に連れて行かれて。先生も好きやなかったし。

 

幼稚園に行ってなくて、小学校でいきなり人に囲まれたらそうなるか(笑)。

怖いし、おもろないし・・・まぁ、怖いから面白くないねんけど(笑)。それを繰り返してやっと3年生くらいの時に、学校っていうもんが見えてきて。「何や、学校ってこんなもんか」って。

 

当時から先生を下に見るくらい捻くれてたんですか?(笑)

そんな下とか上とかじゃないんやけどね・・・。例えば「教科書」っていうのがあるやんか。あれが何かおかしいなと思ってて。あれがほんまに真実なんか?と。

 

当時から教科書について疑問持ってたんですか?(笑)。

おお。あんなもん書いてあるのが何でほんまの事やねん?ほんで、また先生も如何にも自分が書いたみたいに説明するから。「教科書はあんたが書いたもんとちゃうやろ!」と思って(笑)。そんで偉そうに・・・まぁ実際偉そうにしてるわけでは無いんやろうけど、それで黒板使ったりして説明するわけやろ、何かねぇ・・・皆が素直に(先生の)話を聞いてる事が不思議やったなぁ。「なんでこんな事を・・・」と思って。

 

もう、小さい頃から森本先生はちょっと考え方違うんですよ、たぶん。

こんな事言うと皆「(そこに疑問を持つのは)凄いなぁ」って言うけど。ひねくれ者やったのは間違いない。

 

僕なんかたぶん20歳くらいまでは学校の先生は嫌いでも「言ってることは正しい」と無条件に思ってましたからね。

君はめっちゃ素直やなぁ(笑)。

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