《interview》嵯峨美術大学(および嵯峨美術短期大学) 学長 : 森本 武

ちなみに学長ってどうやったらなれるんですか?

選挙や。

 

元々、森本先生は学長になろうと思ってたんですか?

いやいや、僕は別に目指してたわけやないんやけど。

 

野心とか無さそうですもんね。

野心は無い(笑)。まぁ、状況が・・・学生の募集とか落ちてきてた時期であって。(大学の関係者)皆が危機感持ってる時に内部からやってくれと言われて・・・。

 

周りから頼まれるなんて凄いじゃないですか。

正直、何回も前から言われてきたんやけど、ずっと断ってたんですよ。ただ、たしか(学長になったのが)4,5年前やな・・・その時はほんまに(大学が)困った状況やったんですよ。

 

一番大変な時期に学長に就任したんですね (笑)。

まぁだから、学長になる前はさっさと引退してK’s Pointの仕事の方に行こかと思ってたんやけど、なんか周りから「何とか学長やってくれ・・・」という声があって。今まで大学で好きなことばっかりやらせてもらってたから、そこまで皆が言うてくれるんやったら、これまでの恩返しというか。

 

先生って、人望あったんですね。

(笑)。

 

あ、無さそうって意味じゃないですよ!勝手なイメージですけど、教授陣と友達付き合いしてなさそうですし。

あぁ、別にベタベタした付き合いは無いけどね。まぁ、そんなような事で、大学の状況が悪い中「ほな、さいなら」では、あまりにもやな、と思って。大学には長年好きな事させてもろうたから。そこだけやね。こんな誰もやりたくない、とんでもない時期に責任者になるというね。

 

一応僕も元学生ですけど、そんなにヤバかったんですね・・・。

まぁ、ある意味ではそんな状況なら逆に僕も居直ってね。そんな名誉職みたいなもんとちゃうから、いっぱい改革やりはじめたよ。会議のやり方からメールというもののルールから全部変えましたよ。

 

そういえば大学の名前も「京都嵯峨芸術大学」から「嵯峨美術大学」に変わりましたもんね。

うん。(名前を変えた理由の)ひとつには、「嵯峨芸」という名前があんまり浸透せんかったというのもある。皆、短大時代の名残で「嵯峨美」っていうやろ?

 

※嵯峨美術大学は、元々1971年に短大として設置され、その後2001年に4年制の「京都嵯峨芸術大学」を併設した。2017年に「嵯峨美術大学」と「嵯峨美術短期大学」へと改称された。

 

芸大と美大ってどう違うんですか?笑

芸術っていうと、「音楽」やったり「演劇」やったり、もっと範囲が広いやんか。ウチはそういう学科無いからなぁ。

 

なるほど!まぁしかし、いろいろ改革をするにしてもそれまではそんなノウハウとか無かったでしょ?

それまでに僕なりに見えてる問題があったから、それらをとにかく直していくことにした。いっきに経営状態良くなるなんて、そんなん無理な話やから。とにかく見えてる欠点を全部直していくことにした。人間の体も1つ1つ・・・足腰が弱ってる人やったら足腰鍛えるように何かしたり、食生活を改善していくとか、小さいとこから積み上げていくしかないよね。組織も一緒で、「こんな事も?」というようなもんでも直していく。

 

他にはどんな事をしたんですか?

この学校の中に地域の住人が入ってくるようにフリーマーケットやったり。

 

この大学は外壁も大きいし、良くも悪くも学校っぽいですもんね。外部の人は入りにくい(笑)。他の大学は入り口とか花壇ぐらいの高さしかなくて通り抜け出来たりするとこもあるし。

まぁ建物の問題もあるよね。

 

で・・経営状態は良くなってきたんですか?笑。

皆の協力もあって、徐々に改善されてきましたね。

 

結果出たんですね。良かった(笑)。

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