《interview》 須磨学園水泳部コーチ : 坂本匠

-前途多難 笑。そこから水泳にどうやって携わることなったん?

日本にいる時からアシスタントできるスイミングクラブは探してて。日本人がいるスイミングクラブがあったから紹介してもらった。

 

-その紹介してもらったんは日本の時に作ったコネで?

そうそう。だからアメリカ行く前から見つかっててん。

 

坂本匠さんが渡米中に指導を行っていたフェニックス・スイム・クラブ

 

-さすが。準備万端やな。

そこからチャリンコで40分くらいのとこに語学学校があって。毎朝5時30分からプールサイド立って、7時まで練習見て、後片付けとかしてたら7時30分になって、速攻自転車で学校行って8時30分から12時過ぎくらいまで授業受けて。で、13時から20時まで大学とクラブチームのコーチングしてた。で、その後は24時くらいまで英語の勉強。

 

-ハードなスケジュール 笑。

ラッキーやったんが、俺がアシスタントしてるスイミングクラブのプールを借りてるグランドキャニオン(GCU)っていう大学があって。そこのヘッドコーチと会えたから、「俺も(GCUの)アシスタントしたい!やらせてくれ!!」って言ったらOKやった 笑。アメリカ来て3日後くらいの話。

 

-アメリカ着いてすぐやのに飛び込んだなぁ。それでスイミングに来てる大学の人らにも教えることになったんや。

そう。飛び込んだ 笑。まぁ、その時の交渉はスイミングクラブの日本人の人が間に入ってくれたけど。

 

-水泳の指導って言っても・・・練習メニューとか読めた?

普段の英会話はできひんけど、基本的に練習メニューは日本でも英語で書かれてることが多いから、水泳関係の英単語は日本の時から知ってた。だからそういうのはなんとなくできた。

 

-生徒に指導とか伝えられた?

伝わらん 笑。

 

-あぁやっぱり 笑。

最初の1年間はまっっったく相手にされてない。俺をコーチとして認識してない。誰かと一緒におる人、みたいな。

 

-もどかしかったやろなぁ。

そりゃそうや。言いたいことが伝わらへんし、練習メニューを説明しても俺をコーチとして見てないから俺の話聞いてくれへんし。それは・・・やっぱり苦労したなぁ。

 

-それは英語が話せるようになって自然と解決したん?

まぁ英語が少し上達したのもあると思うけど、一番はやる気を買ってくれたというか。

 

-具体的にどういう事?

例えば練習が5時30分からやったら5時にはプール行って練習の準備を1人で全部やって。そんで皆が来たら全員に挨拶して、拙い英語でできるだけ喋るようにしたりとか。何で俺がここにいるのか?とかを前日に文章作って覚えて、それをまず今日は喋ろうとかやって、自分の情熱を出していった。

 

日が明けて間もない早朝のプール。毎日誰よりも早くプールに来て1人で準備をしていたそう。

 

-ほうほう。

それを1年間続けてたら、だんだん皆、俺がコーチっていうことを認識してくれて。「コイツ英語あんまり喋られへんけど水泳めっちゃ好きなんやな」とか「やる気あるんやな」って分かってくれた。朝早くからの準備とか片付けしてるのも見てるから。「コイツ、私たちのためにこんなにやってくれてる」っていうのが、たぶん伝わったんやと思う・・・。それでも1年は掛かったけど。

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